途上にて

過去と未来の交差点

他人

自分以外の人間は他人なのだ。

 

 

他人なんて関係ないとか、どうせ結局は人は当てにならないとか、そういうことを言いたいがために「他人」と言ったわけではない。適切に言いたいことを表現するのは難しいが、「自分ではない」という表現が一番適切であろうか。そう、自分以外は自分ではないのだ。

 

 

自分にとって、自分以上に他人に意味を持たせるな。

 

 

他人の言う一言、他人の視線、他人の態度を必要以上に自分に影響させてはいけない。そのためには、自分が自分にとって納得できる生き方をしなければならない。もっと言うと自分を誇らしく思うような生き方をしなければならない。もし、自分が自分で誇れるような生き方をしていれば、何を他人を恐れることがあろうか。

 

 

そうなのだ、実は人間の一番の問題は、今日一日を自分の人生として精一杯生きていないから起こるものだ。自分が自分の人生のために全力を尽くしているときに、なぜ他人の態度が気になるだろうか。

 

 

自分が自分のために生きているのではなく、他人に認められようとしてるのだ。

 

 

他人に認められよう、他人に気に入ってもらおうとするために生きているから、他人の顔色が必要以上に気になってしまうのだ。誰だって、人に嫌われたくはない。誰だって、人と険悪な関係になりたいわけではない。でも、どうしたって、悪意の人、憎しみの人、意地悪な人はいるものだ。だいたい、人間関係が苦手とか、生きづらいと言うのは、相手が見えていないのだ。空気を読めずうまくコミニケーションが取れないのも、空気を読みすぎて親しい関係になれないのも、全く真逆のように見えて実は同じことなのだ。

 

 

相手自身を見ていない。

 

 

人は誰しもが幸せになりたい。好きな人といたい。美味しいものが食べたい。でも幸せも、好きな人も、美味しいものも、人それぞれ違うのだ。人間関係にしても同じ。どういう人間が良い人間だと思っているかも、人それぞれ違うのだ。では、全ての人にいい顔をするというのはどういうことか。

 

 

極力自分を殺すことだ。

 

 

つまり、人は人に好かれようとすると幸せになれないのだ。私が私らしく生きていって、その私を好きになってくれる人がその人にとっての重要人物なのだ。

 

 

本当はまずは私なのだ。まずは何よりも私なのだ。私が私として、私の人生を精一杯生きる。その姿勢が何よりも大切なのだ。そういう時に、他人の目は気にならないだろう。まずは私の人生を充実させるのだ。私の人生に意味を持たせるのだ。