途上にて

過去と未来の交差点

わたしであるということ

人はみな、大切にされなければいけない。

 

 

大切にされなければ、人は正しさに逃げ込む。あいつはどうだとか、こいつはなんだとか、おかしい、正しい、間違ってるだなんの、そんな合戦がはじまる。この世に、すべての人間を統べる、こうあるべきだ、ああすべきだ、なんてものは、本当はなにもないのだ。

 

 

わたしは、こう思う、わたしはこうしたい、わたしは好きだ、嫌いだ、それがあるだけだ。

 

 

わたしはわたしであっていいのだ。わたしがわたしであることを、自分に許可できないまま、苦しみながら生きてる人は、思いの外多い。この世で一番意味のある言葉は、わたしはわたしでいい、かもしれない。

 

 

わたしはわたしでいい、人がそう思えば、最終的に、あなたはあなたでいい、というところにたどり着ける気がする。気がするというのは、僕もまだそんな境地にはたどり着けていない、ということだ。未熟であることを自分に許すことは、立派であるふりをすることよりずっと尊い

 

 

僕はこんな人間です、あなたに見えるままの人間です。どうぞご自由にご覧ください。そう思えたら、人はどんなに楽だろうか。こう思われたくない、ああ思われたくない、こんなふうに思われちゃうんじゃないか、いや、違うんだ、そんな感情に支配されてしまうと、コミニケーションなんてできない。

 

 

人は大切にされなければならない。そもそもの自分を、大切に大切にされて大人になるべきである。生まれたばかりの赤ちゃんに、憎しみの人はいない。人は、傷つけられ、傷つきながら、人を憎むことを覚える。

 

 

こうあるべき、ああすべき、あの人は正しい、間違ってる、人にこの世の真理をみわける理性など備わってはない。

 

 

人生において、100の正しさよりも、1の優しさ、1の明るさの方がよっぽど役に立つ。自分をいくら責めて、自分を変えていっても、自分で自分を励ませなければ、自分で自分を勇気付けられなければ、人生は前に転がらない。

 

わたしがわたしであることを引き受けなければ、わたしの人生ははじまらないのだ。得体の知れない、世間や、社会や、空気や、常識に翻弄されるだけの人生になる。

 

 

わたしはわたしでいい、あなたはあなたで。