うそ
人生が苦しいのは、つらいのは、うそが多いからだと思う。うそといっても、例えば、人を騙して詐欺をするとか、身分を偽るとか、そういうわかりやすいうそのことではなくて、一言で言うと、実際の自分以上に、立派な自分に見せたいという類のうそだ。ダメな人間に思われたくない、弱い人間に思われたくない、悪いやつだと思われたくない、そういったうそのことだ。
僕の人生は、いかに自分ができる人間か、強い人間か、平凡ではない人間か、と思われることに腐心をしてきた人生だった。今振り返ると、とてもとてもストレスの強い人生であった。おかげで、僕は少しばかりの成功と、身につけた能力と引き換えに、平穏な心や、人との協調、また本当の意味での夢や意欲を失った。大人になった僕に残っていたのは、他人を黙らせるための力と、他人を納得させるための夢であり、僕自身を満たすものはなにもなくなっていたことに気がついた。
気がつけば孤独であった。
友達もいる。仲良く飲める仲間もいる。しかし、僕は孤独であった。なぜなら、以前も述べたように、僕は、
誰かの幸せを心から願えないからだ。
正直に告白すると、僕は、誰かの成功が、僕の存在を、僕の価値を脅かすように感じるからだ。人の幸福や、人の成功を、よかったねと喜びたい気持ちと、漠然とした焦りや寂しさが、同時に胸に去来する。前者は意識で、後者は無意識だ。無意識の本音を、意識が否定する。僕はそう解釈している。そして、もちろん、そんな僕の心の中の渦を、僕は人に見せない。そんなものを人に見せる勇気はない。
思えば、本当にストレスの強い人生であった。いつも本当の自分を隠し続ける人生であった。そして、そのことに今は気がついているけれど、どんなにそれが不毛なものと自覚していても、僕は未だかつて、そのままの自分で生きる勇気がない。
安心がほしい。自分の存在が、脅かされない、わずかでもよいので、安心できる時間がほしい。
生きるとは、こんなにも苦しいものかと、心から思う。
因果応報
なるべくして、今日の僕になった。なにも弱者のふりをしたり、被害者のふりをするつもりはない。こうなるよりほかはない価値観や考え方によって、僕は生きてきたのだ。ただ、そんな僕でも、そんなふうになるつもりはなかった。僕は、大切なことに気がつかなかった。愚かであったし、なにもわかってなかった。そんな僕にとって、
生きるとは、本当に苦しい時間である。