途上にて

過去と未来の交差点

夢を見た

ちょっと、不思議な夢。自分でも、いまさらなんでだろって夢を。

 

簡単に言うと、中学生の時かな、胸の内でかわいいなって思ってた女の子の夢。でも、その子のことをときどき懐かしくなって思い出すこともほとんどなかったし、ほんと日常の中から忘れ去られていて、遠き日の淡い思い出というか、そのくらいに、意識の奥の方へ沈み込んでいた記憶。そのくらいの感じで、日常の中で意識することもしばらくなかったのに。

 

でも、そんな彼女がいきなり夢に出て来た。まったくの不意打ちに。幼き日の彼女ではなくて、今の歳をとった彼女として。あれから会ったこともないし、会いたいと意識することもなかったのに、それでも彼女は夢に出てきた。そして、そこには、目の前で彼女に猛アタックをかけるある男がいて、それは僕の知っている具体的な誰かではないけど、僕はその彼の猛アタックが終わるまでずっと待っていた。ずっとずっと、周囲をうろうろしながら待っていた。そして、その彼がやっとのことでいなくなった時に、僕はその彼女に昔の僕が抱いてた気持ちをきれいにまとめて話した。とてもきれいにまとまった、過去の淡い気持ちを。そのしゃべってる内容は、自分としてもすごくよくできている。誰も傷つかないし、彼女も悪い気持ちにはならないだろうし。そしてなにより、結論がない。

 

でも、目が覚めて少し自分で気がついてしまった。これが自分の生き方だったんだろうなと。その全てが、僕という人間を象徴しているようだった。

 

僕は空気の抜けたタイヤだ。漕いでも漕いでもこれでは進まない。感情とか情熱とか、そういったものが僕のタイヤには入っていない。きっと人生を前に進めるためには、何かしらのエネルギーが、体の中に満ちていないと、人生は前に転がらない。

 

代わりに、僕の中を満たしているのは、肥大化した自意識、他者の目の中にある僕に対する過剰な意識。警戒、猜疑、孤独、いわゆる劣等感というものに収束していかざるを得ない数々の感情。

 

行き詰まった。正直に認めると、僕は行き詰まっている。僕と世界の間に架ける橋を、僕はつくることができなかったのだ。

 

認めたくない、偽りの自尊心と、現実の不協和がそれを何より物語っている。僕は行き詰まった。人生が苦しいものになるのは、行き詰まってしまうのは、そこに嘘があるからだ。つまりはこういうことではないだろうか。

 

イソップ物語に、「狐とぶどう」という話がある。狐が美味しそうなぶどうがなっているのを見つけた。それを採ろうと何度も何度もジャンプして採ろうとするが、どうしても届かない。狐は去り際に、あのぶどうは酸っぱいとつぶやく。